クラス/シルバーマン/ニックマンら

心の中でそっと語りかけたことはありませんか?
もし、今話せるのなら、あの人ならなんて答えてくれるのかな、と。
あたたかさを感じると同時に、もしかして、前をむけてないのかな…と思うことがあるかもしれません。
「いつまでも引きずっていないで前を向いて」、とか「そろそろ新しいことに目を向けられる頃だね」
などと言われることも、あるかもしれません。
死をもっての別れは、残酷なまでにはっきりとしたものです。
もう会えないけれど、声を聞くことも、触れることもできないけれど。
関係は死別によって、すべて終わるわけではありません。
一緒に過ごした時間や、交わした言葉、印象に残る姿、
その人が残していった記憶の数々は、姿を変え続いていくのかもしれません。
忘れられない、それをつらいと感じることはありますか?
けれどそれは、大切な人とのつながりが、自分の感じ方や人生の選択の中に残っている、ということなのかもしれない。
それは「継続する絆」と呼ばれています。

クラス、シルバーマン、ニックマンらは、
大切な人を失ったとしても、
その人とのつながりは終わらない。
それは、記憶や語り、日々の感じ方の中に続いていくと考えました。
かつては、亡くなった人への思いを手放していって
いずれ、その人なしで生きていくことが、悲しみを乗り越えるために必要なことだと考えられることもありました。
でも、実際はそんなに単純ではありません。
あの人を思い出すこと。
心の中で問い続けること。
命日や誕生日が近づくと、あの人が心に映し出されること。
あの人が好きだったものを、ずっと大切にしていること。
人生の節目の日に、そばにいてほしかったと思うこと。
その時々に感じる気持ちは、
過去に留まり続けているわけではなく、関係が形を変えて続いている姿として見ることもできます。
あたたかい絆だけではないかもしれません。
冷たすぎる絆も、熱すぎる絆も。
苦しさも、後悔も怒りでさえも絆となり得ます。
簡単なことではありません。
そのつながりが、
今の自分を支えているのか、
それとも、つらさや苦しさを強めているのか、
変わりゆく人生の中で見ていくことが大切なのかもしれません。
継続する絆は、「これからも一緒でいいんだ」という考え方です。
でもそれは、
ずっと同じ形でなければならない、
という意味ではありません。
写真を手に取る日があってもいいし、見なくてもいい。
話しかける日があってもいいけど、考えたくない日があってもいい。
今は、顔を見ることもことばを交わすこともできなくなってしまいました。
でも、それが終わりではないということです。
この考え方が役立つかもしれないとき
日常のふとした時に、なくした人との関係を感じることがあります。
ちょっとしたときに、笑顔が浮かぶ。
あの人ならなんて言うかなと、ふと思う。
自分の中にいる。
何らかのかたちでそこにいる。
これからの暮らしの中で、どんな形でその人とつながっていけるのでしょうか。
もう会えなくなったとしても、
人は何度も関係を結び直していきます。
一緒に生きていく、それぞれの形を少しずつさぐっていこうとします。
