悲しみと生活のあいだを揺れる

ストローブ&シュット/二重過程モデル

大切な人をなくしてから、ずっと泣き続けているわけではありません。

写真を見ながら静かに思い返す時間もあるし、
必要な用を済ませたり、ご飯を食べたり、仕事へ行ったり、生活の流れは続いていきます。

周りの人たちと同じように過ごす時間がある。
失った悲しみに深く沈む日がある。
また、今までのように過ごす日がある。
元気に働けるのに、家に帰るとどっと疲れがでる。
人前では明るい笑顔でいられるのに、ひとりになると涙がほおを伝う。

故人への思いに浸る時もあれば、その人のことが頭に浮かばないまま過ごす時もあります。

「あの人のこと、忘れはじめているのかもしれない」
「自分は悲しんでいないんじゃないのかな?」

ふと、そう感じることもあるのでしょうか。

大切な人を失ったとき、ずっと悲しんでいることが当たり前なのでしょうか?
ストローブとシュットは、ずっと悲しみ続けなくてもいいんだと考えました。

悲しみに向き合う時間と、普段の生活を送る時間、
ざっくり、そんな時間の間をいったりきたりすることがあっていい。

悲しみが深かった翌日に普通に買い物ができたとしても、悲しくないわけではないし、なくなった人を大切にしていることに変わりありません。

日常生活に戻っていつもの日々を送っていたのに、また突然、悲しくなることもあります。
それも、悲しみと生活のあいだを揺れているんだな、と見ることができます。

日常と悲しみの揺れ幅に、ただ、振り回されるだけではなく、
自分なりになんとかやっていこうとしているからこその揺れなのかもしれません。

ストローブとシュットは、亡くなった人のことや悲しみに向かう時間を「喪失志向」と名付け、
日々の生活や自分のこれからに取り組む時間を「回復志向」と呼びました。

喪失志向とは、亡くなった人のこと、失った関係、悲しみや寂しさに向かう動きです。
回復志向とは、用事を足すこと、役割を引き受けること、現実に対応すること、新しい日常に向かう動きです。

失った現実と、続いていく生活。そのあいだで自分なりのやり方で生きていく。
これを二重過程モデルといいます。

役立つ情報はこれ

悲しさにあふれる時間も日常生活も、きれいにわけられるものではなく、時間はその濃淡の間を揺れるように過ぎていきます。

今までと変わらずに見えるから、「もう大丈夫」と思われてしまうかもしれません。
また、普段通りに戻らなければならないと急がされることもしんどいです。

無理に前向きになならなくてもいいし、
普段どおりに過ごせている自分を、悲しみが浅いと思わなくても大丈夫です。

今は揺れ動いていても大丈夫な時なのでしょう。